求道者たち vol.16
甲州印傳 2013/4/8

伝統工芸士への道を
自らの力で切り拓く「印伝職人」

中学校からの夢は「伝統工芸士」

中学校の頃から夢に見てきた伝統工芸士になるべく、日々鍛錬を重ねる山本裕輔さん。お父様や弟さんとともに印伝づくりを生業としています

 「中学校の卒業文集に、将来の夢として『伝統工芸士になる』と書いたんです」。
そう話すのは、印伝職人の中でも唯一の伝統工芸士である山本誠氏を父に持つ、山本裕輔氏。祖父も父も印伝職人。住まいが工房を兼ねていたことから、甲州印伝はとても身近な存在だったそうです。
「印伝が兄弟。それくらい印伝は、身近な存在。小学生ながら、その柔らかな手触りや、伝統の和柄が好きでした。小学生はキャラクターものが好きじゃないですか。けれど、親が買ってくれなかった。だから、家にある印伝のペンケースを学校に持っていきました。まわりの友達はカンペンケース(ブリキ製の筆箱)を持っていたので、『おまえ、変わったのを持っているな』なんて言われましたよ。小学生の時に使用していた印伝の財布は今も残っているのですが、内側には当時流行ったキャラクターのシールが張ってありますよ(笑)」。

「印伝の山本」の暖簾。右上には、お父様が伝統工芸士を取得された際の認定証が飾られています。「僕が中学生の時に父が伝統工芸士の資格を取得したんですが、『伝統工芸士』という漢字の並びがとってもかっこよく見えて、グッときたことを今でも覚えていますね」と山本さん
「両親が言うには、まだ赤ちゃんの僕をあやしている隣で漆付けなどの作業をしていたそうです。今思うと過酷な環境ですよね。けれど、そのお陰なのか、今まで一度も漆でかぶれたことがないんです。同じ家で育ったにも関わらず、弟は漆でかぶれる体質。弟は大事に育てられていたのかもしれませんね(笑)」
販売店からは、工房での制作の様子をうかがうことも。画像は漆付けを行う部屋

奥には、漆付けを終えたものを乾かす部屋「室(むろ)」や、革を裁断する部屋があります

自分で考え、歩んできた印伝職人の道

 「父は、昔も今も放任主義」と語る山本さん。不安も多い中でどんな信念を持ち、印伝職人の道を歩んできたのか気になり、うかがことに。
「昔から父に『ああしろ、こうしろ』と言われなかったので、自分で考えるしかなかった。『伝統工芸士になる』と決めてからは、パソコンを使いながら伝統工芸を広められないかと考え、パソコン関係を学べる高校に進学。大学では経営を学ぶことで、印伝の制作環境を整えようと考えました。大学が神奈川だったので、神奈川県で父の仕事があれば、夏休みや冬休みを利用してデパートでの印伝の販売などの手伝いもしました。仕事の場合は、父と息子ではなく、社長と新入社員。仕事でも家でも『こうしたら商品の魅力が伝わる』ということは一切教えてくれなかったですね。よく『見て、盗む』と言いますが、それはどこまでいってもコピーの域。そうではなく、「見て、どうしたらよくなるのか自分なりに考える」ということが大切だと感じています」。
しかし、後々意外な形で放任主義は、実は父の作戦であったことを知ることに。
「『印伝職人になれ。そうしつこくと言わない方が、なるものなんだよ。うちは、それで息子二人が職人になったからね』って、自慢気に地元のテレビか何かのインタビューに応えていたんです」。『してやられた』と思いましたね(笑)。小学校の時から上手いこと、印伝を持たされていたわけですから、印伝職人への道に誘導されていたかもしれませんね」。

「自分の販売店を持つことを夢見ながら、日々仕事に励んでいたお父様が2002年に建てた工房兼ショップ。「昔は自宅兼工房だったので、販売場所がないわけです。父は1年の内、250日は販売に出歩き、残りの100日で制作をしていました。母は母で僕らを育てながら、父の留守中に小さな印伝の小物をつくっていましたから夢を叶えるまでとても大変だったと思います」

「ミクシィやフェィスブック、ツイッターなどを通して、印伝が好きな方たちとコミュニケーションを取り合っています。僕みたいな職人とつながることで、誰がどんな品を制作しているのか興味を持つきっかけになればうれしいですね」

接客の経験がターニングポイントに

 大学時代に経験したデパートなどでの印伝の販売が、印伝職人の道を歩むうえで、ターニングポイントになったと山本さんは続けます。
「お客様の需要は、接客の場が一番わかる。これは身をもって感じました。また、僕らは制作から販売まで一貫しています。それは、職人は作るだけ、接客は売るだけと分担制になると、意見の疎通ができなくなる場合もでてくるからなんです。お客様からの要望に対して、販売先で柔軟に対応できるのも職人兼販売員ならでは。それが僕らの強みです」。
そんな印伝の山本さんならではの強みとともに、創業者であるお爺さまの時代から息づく伝統をこう語ります。
「祖父は、芸術家的思考の持ち主だったようで、東海道五十三次のワンシーンを描き、額にいれて商品として販売していたようです。印伝は黒地に白や赤などのシックな色合いが多いのですが、こうした作品を得意とする祖父の時代から、うちでは発色の良い緑や紫といった色を中心に使用してきました。その背景には、祖父の外国好きがあるようです。外国の方は色彩感覚が日本人と異なることから、それを吸収し、表現していたんだと思います」。

印伝の技法で描いた東海道五十三次の1コマ。東海道五十三次用の伊勢型紙を印伝用に加工してもらいお爺さまが制作されたとのこと。「漆を大量に使うため、均一に文様を出すのは、容易ではなかったと思います」と山本さん
武田信玄を印伝の技法を用いて描いた作品。ドットのみでデザインされているそうです

店内に並べられた色とりどりの印伝の財布。「使いやすく、長持ちする印伝を制作しています」と山本さん

挑戦し、チャンスを掴み取る精神

 お爺さまと同じように新しい事に挑戦することを恐れない山本さん。ゲーム会社とコラボレーションした時のことを振り返っていただいました。
「『コロニーな生活』というゲームの中で、他のアイテムよりもお金が多く溜まるがま口の財布があるんですね。これを『印伝で作りたい』と考え、問合せようと思ったんです。けれど、会社のホームページを見ても、メールアドレスや電話番号がない。それで、ユーザーページにあった『不良のお問い合わせ』に、その想いをぶつけたんです(笑)。すぐに副社長さんから『面白そうなのでやらせてください』とメールが届き、約一ヶ月後には、商品の詳細まで決まっていました。完成した商品は、『通信販売なし。印伝の山本でしか購入できないもの』というコンセプトにしました。がま口も売れたのですが、あわせて作っていたストラップが3ヶ月で3000本も売れたんですよ。ゲームを楽しんでいる20代・30代の方がお客さんとして、週末に100人くらい来店していただいて。タクシーが次々とやってきて、着くなり、開口一番『ストラップどこですか?』と、みなさん言うわけですよ。けれど、うちはもともと1000本も制作する体制がない。ですから、2000本、3000本と売れた時は、うれしい反面、寝る間もなかったので想像以上に大変でした(笑)。携帯ゲームの会社とコラボするというのも、今までの伝統工芸に携わる職人さんにはない発想だと思うんです。ブランドイメージが、なんて体裁を考えていると、二の足踏んでしまいチャンスを逃してしまうので、どんどん挑戦していきたいですね」。

ゲーム制作会社とのコラボで生まれた印伝のがま口とストラップ


「成功例を挙げましたけど、挑戦して失敗したことも沢山あります(笑)。けれど、失敗から多くを学びました。たとえば、流行の恐ろしさ。流行のものを作るにしても手仕事なので、時間がかかるわけです。すると、販売した時には流行が下火に、なんてこともあるわけです。そのあたりの判断は、とても難しいですね」

失敗を重ねて体得した、職人としての技術

 工房へ移り、「漆付け」の工程を見学させてもらうことに。作業をしながら、印伝職人に必要な技術をどのように体得してきたのかを教えてくれました。
「やはり漆付けが難しいですね。型紙の上からさぁーっと漆を塗るのですが、漆の量が少なくて文様がかすれていたり、反対に漆が多すぎて文様が潰れてしまったり…。また、皮の表にしか、漆は付かないのですが、最初は皮の裏表を判断することもできないので、裏に塗ってしまったこともあります。そういう失敗を積み重ねながら、小さなものから、段々に大きなものも作れるようになりましたね。父の作業を見ながら研究しましたが、父と僕とでは手の大きさも違うし、それにあわせて力加減も変わってくる。自分なりに何度も数を重ねることでしか巧くならないと思いましたね」。

漆に空気と熱を加えて、全体的になめらかになるように何度も練り、へらに均一に漆をのせる。この作業が、漆を均一に塗るコツの一つでもあると言います
山本さんオリジナルの薔薇の文様の型紙。ドットではなくて、すべて横のラインだけで描かれています
漆付けを行う鹿革のサイズに合わせて、様々なへらを用意しているという山本さん。「すべて祖父から受け継いできた道具。自分が使いやすいように削っています。新しいへらを作るための木のストックはあるのですが、今使っている道具が手に馴染んでいるので、新調するタイミングが難しいですね」
「横のラインだけで描かれているので、ビロードのような滑らかな手触りになるんです。従来の印伝にはないような、まるで織物のような風合いになるのも特徴ですね」と山本さん

漆付け後は、「室(むろ)」へ移し、乾燥を促すそう

手間をかけ、無駄をなくす

 「漆付け」の工程の次に見学させてもらったのは、荒裁ちと本裁ちの2工程。鹿革の裁断を2回に分けて行うのは、無駄を無くすためと話します。
「鹿革を裁断する金型は、荒裁ち用と本裁ち用があります。荒裁ち用は本裁ちよりも一回り大きいのが特徴。本裁ち用は、おサイフならおサイフのカタチをした型です。荒裁ちを一度経由するのは、鹿革に一度漆をつけた後に乾かす段階で、革が縮んでしまうから。縮み方は、季節や天気によって異なるので、コントロールできません。荒裁ちの段階で漆付けをし、本裁ちする方法もあるかと思うのですが、本裁ちする際に、漆の付いた無駄な皮が大量にでてきてしまいます。荒裁ちを経緯するという一手間によって、漆や革の無駄を減らすことができるわけです」。

15~6年使用しているという金型。使っている内に刃が切れなくなってくるため、メンテナンスが欠かせないそうです
「荒裁ち」の様子
革をうすく削り、折り曲げやすいように加工する工程「革すき」。漆付けした面積が大きくなるほど折り曲げに弱いため、印伝はドット柄が多いそう

「革すき」後の皮。均一な幅で削られていることが見て取れます

「印伝の山本」。その名を広めたい

 最後に山本さんが描く「印伝の山本」の理想像をうかがうことに。
「社長は、追いつけ追い越せというタイプ。けれど、僕自身は会社の大きさに比例してカバーできる範囲には限度があると思うんです。トップがやらないことをやる。それこそうちの会社が成長できる方法だと思います。販売に立って痛感したのですが、印伝の会社は一社だけと思っている方が少なくない。うちはうちで『伝統工芸士』という看板を活かしながら、大手にはできないやり方で進んでいきたいと思っています。たとえば、うちは本当に柔らかい皮質にこだわっているので、そこをアピールしていきたいですね。大量生産になると、自ずと質も落ちてくる。だから、今の質を維持しつつ、色んな方に『印伝の山本』という存在を知ってもらいたい。それが一番重要なことですね」。
社名を広めたいという目標とともに、中学生の頃に抱いた「伝統工芸士になる」という夢に一歩でも近づけるよう印伝づくりの技術はもちろん、日々知識も深めている山本さん。「印伝のことをもっと愛して欲しいんです」。そう語るその表情からは印伝への愛や情熱が伝わり、 持ち前の軽快なフットワークを活かしてどんな印伝を生み出していくのか楽しみになりました。

約4年前からはじめたという印伝のスマホカバー

「祖父や父の代から受け継がれているのは、目に見て新しさを感じられる印伝。伝統的な商品をつくりながらも、目新しい印伝をつくっていきたいですね」と山本さん

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