愛媛県 大洲和紙

 大洲和紙の歴史

三椏を原料とした和紙の開発で
全国有数の和紙の産地に

大洲和紙元禄年間(1688~1704)に、宗昌禅定門(しゅうしょうぜんじょうもん)という人物が大洲藩の紙漉(す)きの師として、越前和紙の技術を指導したことが、大洲和紙の始まりとされています。大洲和紙は藩の保護のもと繁栄の時を迎え、全国の書道家に愛用されるまでの地位を確立しましたが、明治期に藩の専売制がなくなり、資金の流通、原料供給のストップなどの影響を受け低迷。しかし、明治中期に三椏(みつまた)を原料とした、なめらかで墨の滲(にじ)まない改良半紙(書道和紙)の開発で、大洲和紙はふたたび繁栄の時を迎え、全国有数の和紙の産地に。現在では、多くを数えた業者も一桁台となりましたが「大洲和紙のかな用書道用紙は日本一」と言われるほど、広く書道家から愛されています。

 大洲和紙の魅力

薄いのに墨が滲みにくい。時の
経過と共に筆のすべりが良くなる

大洲和紙「大洲和紙」は、簾(すだれ)で漉(す)いて、一枚一枚を手作りすることから、温かな風合いが伝わってきます。また、三椏を原料としたなめらかな「かな用書道半紙」は、薄いにもかかわらず墨が滲みにくく、耐久性や保存性にも優れた性質を持っています。こうした特性は数年経っても変わらず、むしろ時を経ることで、筆のすべりや墨の付きの良い風格ただよう和紙へと、徐々に変化していくことも大きな魅力となっています。一方で用途もさまざまで、障子紙、書道用紙の他、色とりどりの和紙がちぎり絵に使用される等、多くのシーンで重宝されています。最近では、外国の壁紙デザイナーとのコラボレーションで生まれた、現代的なデザインにやわらかな和紙の風合いが調和した壁紙もあります。

 大洲和紙ができるまで

江戸から変わらぬ手作業で作成。
脱水の工程が和紙の品質を左右

大洲和紙ができるまではじめに原料を数日間水に浸すことでやわらかくし、煮沸後、非繊維部分やゴミなどを除き、約1週間水槽の中で水にさらしておきます。つぎに、有色繊維を漂白し、未漂白の繊維やゴミを最終的に取り除き、紙すきのできる状態にまでほぐします。そして、原料となる紙料と、紙すきに使う天然のノリを入れてよく混ぜ合わせ、簾で紙漉きを行った後、一晩置いておきます。翌日、圧搾機を使用し、水分が約半分になるまでじっくり脱水。この脱水の工程が和紙の品質を左右する大事な作業ともいえます。最後に、皺(しわ)が出来ないように手早く丁寧に乾燥させ、破れ等がない上紙と破れ等がある損紙とに選別し、上紙を用途に合わせた寸法に裁断すれば完成です。

主な産地・拠点 愛媛県
このワザの職業 手漉き和紙職人
ここでワザを発揮 障子紙、たこ紙、書道用紙
もっと知りたい 五十崎町伝統的工芸品
日本伝統文化振興機構