求道者たち vol.11
駿河竹千筋細工 2011/12/1

“生き残り”をかけた挑戦を続ける
「駿河竹千筋細工」職人

自らの殻を破ることができた
大阪での接客修行時代

【経歴】「駿河竹千筋細工」職人の杉山 茂靖さん(37歳)。「駿河竹千筋細工」職人(現・「みやび行燈製作所」会長)の杉山 雅泰さんの三男として1974年に誕生。高校卒業後、6年間大阪の雛人形店で接客を学ぶ。2000年より、「みやび行燈製作所」にて、伝統工芸士・渡邊鉄夫さんに弟子入りし、数々の作品づくりに携わる。

 江戸の初期にはじまった静岡の伝統工芸「駿河竹千筋細工」は、竹を細く裂いた「丸ひご」が醸し出す繊細さはもちろん、丈夫で長持ちし、徐々に飴色となる竹特有の経年変化も楽しめるのが魅力。鳥籠や菓子器を出品した明治6年の「ウィーン国際博覧会」では、各国から好評を博し、その後は日本を代表する輸出品として発展を遂げました。現在においては、伝統的な作品づくりから、趣向を凝らした作品まで幅広く制作されています。そんな伝統工芸の明日を担う三兄弟がいるとうかがい向かったのは、東海道新幹線「静岡」駅から車で約3分の住宅街に佇む「みやび行燈製作所」さん。出迎えてくれたのは、とても人懐っこい笑顔が印象的な三男・杉山茂靖さんでした。

繊細な模様が印象的な「駿河竹千筋細工」の菓子器。

 「高校生のときに、長男(現・社長)や次男(現・専務)とともに『駿河竹千筋細工』職人になり、家業を継ごうと決意しました。うちはすぐに駿河竹千筋細工の修行をさせるのではなく、一度大阪の親戚が営む雛人形店で最低3年間接客を学ばせるのですが、私はそれまでとても引っ込み思案で人見知りの性格だったため、歩いてくる人全員に声をかけてお店に呼び込むなんてそれはもう苦痛で、逃げたくてしょうがなかったですね。でも、それが理由で静岡に帰るなんて言ったら、恥ずかしいし、大阪での修行を乗り越えた兄たちに合わせる顔がないと思いました。また、接客の仕事をしない限り、必要とされない人間となってしまうという危機感もどんどん膨らんでいったのです。それで、自分の殻を破り、まずは話し言葉を関西弁にかえることからはじまめました。決してうまいとは言えない関西弁でしたが、静岡訛りのある話し言葉より、お客さんの反応が良くなり、不思議と接客もうまくいったのです。また、上司がいつも温かく見守ってくれたことで、ホームシックで、折れそうになっていた心も何とか持ち堪えました。大阪は人情の街とも呼ばれていますが、見ず知らずの土地での一人暮らしでしたので、一層こうした優しさは心に染みましたね」。

「みやび行燈製作所」さんの外観。1階が事務所、2階が工房、3階が在庫を収納する倉庫になっています。

6年間の接客修行を乗り越え、
伝統工芸士の渡邊さんに弟子入り

 6年にも及ぶ修行を乗り越え、晴れて兄弟とともに家業を継ぐことになって、約2年。杉山さんのお父様であり現会長が、伝統工芸士として活躍しながらも自らの工房をたたもうとしていた渡邊鉄夫さんに「今までに培ってきた技術を若手に伝えて欲しい」と、「みやび行燈製作所」さんへの入社を依頼。このことをきっかけに、杉山さんは本格的な弟子入りを渡邊さんに志願したそうです。
 「修行は小刀で竹を削ることからはじまりました。そんなある日、削り続けていたら筋肉どころか骨にまで痛みが。渡邊さんにアドバイスを求めたところ『竹を削ろうと思うな』とだけ言われたのです。当時この言葉の意味が解らなかったのですが、今思うとこの言葉以上に適切な言葉はないと思いますね。つまり、削ろうと思うと小刀の刃が竹に深く入り、刃がスムーズに進まなくなるのですが、それをどうにかしようと力んでしまうので、“竹を削ろうと思うな”ということだったのです。この意味に気づいてからは、肩の力も抜けて、小刀を扱える時間、そして削る竹の本数も飛躍的に伸びていきましたね」と修業時代を振り返る杉山さん。
 また、渡邊さんは杉山さん以外の若手職人さんにも伝統の技術を教えていると言います。
 「師匠は、毎週火曜日に私も参加している『若手育成会(技術保存会)』を開催しています。他の師匠に弟子入りしている若手の職人さんも参加しているのですが、普段指導を受けている師匠とは違う技術を学べるということで参加している職人さんも多いようです」と杉山さん。

【経歴】「駿河竹千筋細工」職人の渡邊鉄夫さん(76歳)。16歳から修行をはじめ、27歳で独立。伝統的技術や技法の分析、そして後継者育成に貢献したことが評価され、42歳で駿河竹千筋細工の伝統工芸士に認定され、現在に至る。

「ひご」づくりは
竹の性質を知ることから

 2階に工房があるということで、実際の仕事風景を見学させていただくことにしました。
 「『駿河竹千筋細工』の繊細さの象徴でもある『丸ひご』。その作り方を紹介します。まずは、竹の寸法を測り、ノコギリで切ってから、煮込むことで油を抜いて強度を増強。これを、乾かしすぎて弾力がなくならないよう注意しながら数ヶ月間乾燥させます。竹といっても真竹や孟宗竹などいくつもの種類があるので、それぞれの特長に配慮する必要もありますね。つぎに、竹の皮を削り、竹の繊維を壊さないように裂け目を入れ、右に左にと手で曲げて末端まで裂きます。最後に、『竹ひご引き』(鉄板に刃のある大小様々な穴を開けた道具)で、荒引き、中引き、仕上げ引きと順番に細い穴へと通していけば、角のとれた細い『丸ひご』の出来上がりとなります」。

工房で黙々と作業する渡邊(右)さんと、杉山さん(左)。
右に左にと手で曲げるだけで、あっという間に末端まで裂けていくその様子は、まるで手品のよう。

裂いた竹を、大・中・小とある刃のある小さな穴へと順番に通せば、「ひご」の完成です。鮮やかな手つきに、思わず見とれます。

作品の善し悪しを
左右する「曲げ」

 つぎに杉山さんに紹介していただいたのは、「駿河竹千筋細工」づくりの工程において最も難しく、作品の善し悪しを左右する「曲げ」。
 「夏場の『曲げ』は、熱して冷めるまでの間に竹が伸びます。逆に、冬場は縮むので、竹の伸縮も考慮しながら制作しなければなりません。『胴乱』という道具を熱して、竹ひごを曲げる『丸曲げ』が基本としてありますが、師匠はコテを熱して曲げる高度な技術『四角曲げ』も得意としています。丸は一回の曲げですが、四角は4回曲げる。単純に考えても、4回の曲げの中での歪みと、伸縮によるすべての歪みを計算しなくてはならないわけです。最後に、「曲げ」工程以前につけておいた目印を見ながら、キリなどで穴を開けます。そこに「ひご」を通せば、作品の完成。『四角曲げ』などの高度な技術を学べること、そして何より師匠に出会えた事に感謝しています」と杉山さんは笑顔で語ります。

「胴乱(どうらん)」を熱し、竹を丸くします。この道具は、戦前から使われているものだそうです。
筒状のマイクカバーの制作依頼を受けた際に作った直系4㎝(真ん中)の「丸曲げ」。「今までに制作したことのない小ささでしたので、コテで曲げてから、鉋(かんな)と鑿(のみ)で丸曲げの接合部分を作りました。完成するまで苦労しましたよ」と渡邊さん。
「『四角曲げ』では、竹を一気に曲げるのでなく、竹が割れないように曲げる所の周辺を熱してから曲げるのがポイントです」と渡邊さん。

四角曲げをした竹は、鉋(かんな)と鑿(のみ)などで、接合部分に隙間ができないように調節し、接着剤で固めます。

誰もが驚く「駿河竹千筋細工」
を作っていきたい

 最後に、杉山さんが職人として目指すところをうかがいました。
 「祖父の時代には約80名の職人さんがいたと聞いていますが、現在は約13人しかいなくなりました。昔は作れば売れた時代でしたが、今は違う。ライフスタイルが和から洋へと移り変わったように、時代のニーズに合った『駿河竹千筋細工』が求められているのです。伝統的なモノづくりも大事ですが、残ってこそ、伝統工芸だと思っていますので、伝統の技術と新しい感覚を融合させた誰もが驚く今までにない『駿河竹千筋細工』を、兄弟みんなで作っていきたいと考えています。また、その中でどんな依頼にも応えていこうと考えています。それは、断らない姿勢こそ職人にとって大切ですし、様々な経験を積む事で作品づくりに幅が生まれると実感しているためです。今では、こうした姿勢に共感してくれる方々も増え、新しい仕事に挑戦できることも多くなりました」。
 「安く、誰もが手の届くものを」ではなく、「高くとも、手に入れることでステータスとなる逸品を」。その思いのもと、数々の伝統工芸に課せられた“生き残り”という使命にも似た問題に立ち向かう杉山さんをはじめとする「みやび行燈製作所」の皆さんの情熱あふれる姿に、「本物とは何か」「伝統とは何か」ということを深く考えさせられました。

渡邊さんが復活させた伝統模様「あわじ結び」。「作品を手にとり、軽さや丈夫さを感じて欲しい」と杉山さん。
郷土工芸品「駿河和染め」を用いたバッグは、ジーンズなどのカジュアルな服装にも合いそう。

照明作家さんとコラボレーションして作り上げた照明「SEN」。「私たちは設計図上の細かなデザインが理解できなかったし、作家さんは『駿河竹千筋細工』のことを詳しく知らなかった。ですので、完成するまで作家さんに静岡に何泊かしてもらい完成イメージを共有することで出来上がりました」と杉山さん。


駿河竹千筋細工