福島県 会津塗

 会津塗の歴史

会津領主が産業として奨励
戦火で衰退も、明治に復興

会津塗天正18年(1590)、会津の領主となった蒲生氏郷(がもううじさと)公が、郷里の近江から塗師(ぬし)、木地師(きじし)、蒔絵師(まきえし)などの多くの職人を集め、産業として奨励したのが会津塗の始まりです。以来、会津の地に漆工芸が根付き、漆の木の栽培から加飾までを一貫して手がける一大産地へと飛躍しました。その後、江戸時代中期には中国、オランダなど、海外輸出を試みるまでになりましたが、幕末の戊辰戦争において会津漆器は戦火によって大打撃を受けました。それでも、明治の中期に再び会津は、日本有数の漆器産地に返り咲きました。こうした 400年にも及ぶ歴史を経て、会津塗は現代に伝わっています。

 会津塗の魅力

優美な塗りの技法で、縁起
の良い図案等の加飾を施す

会津塗檜垣(ひがき)・松竹梅・破魔矢(はまや)を組み合わせた「会津絵」や牡丹・鳳凰・鶴亀・松竹梅を組み合わせた「錦絵」など、いかにも日本人好みの縁起の良い図案や多彩な加飾が楽しめるのが、会津塗の魅力です。また、錆絵(さびえ)を使った渋みのある「鉄錆塗」、米のもみ殻をまいて模様を出す「金虫くい塗」、木目の美しい「木地呂塗(きじろぬり)」など、表情豊かな塗りの技法も見どころのひとつ。一方で、刷毛(はけ)の跡やムラを一切残さず、均一に漆を塗る高度な「花塗」の技法で仕上げた無地の漆器は、漆の艶を活かしたやわらかな光沢を持っており、シンプルな中にも確かな技が光ります。こうした見た目に加えて、木と漆器の持つ「熱を伝えず、熱を逃がさない」性質も持ちあわせており、とても実用的です。

 会津塗ができるまで

表面には見えない工程が
塗物の質を左右する

会津塗ができるまで製作工程は木地作り、下地作り、上塗り、加飾に大別されており、製作にあたっては工程別、丸い形のもの、板状のもの等の製品の種類別に仕事が分担されています。しっとりとした独特の色艶を放っている塗物は、木地の乾燥から始まって、ロクロを使った形作り、そして塗り物の一番大事な工程とされる木地の錆付けなど、いくつもの工程を経て完成に至ります。木地の乾燥具合、下地作りなど、そうした表面に見えない細かで複雑な工程が塗物の質を大きく左右しています。

主な産地・拠点 福島県
このワザの職業 塗師 木地師(漆器) 蒔絵師 沈金師
ここでワザを発揮 椀 重箱 茶托(ちゃたく) 盆
もっと知りたい 福島県伝統工芸士会
会津漆器協同組合