愛媛県 砥部焼

 砥部焼の歴史

資材まで投じて、砥部焼の完成に
情熱を注いだ杉野丈助が始祖

砥部焼1777年、大洲藩主に命じられた杉野丈助(じょうすけ)が苦心の末、約3年の月日を掛けて、ようやく現代にも見られる白地に藍色の焼き物作りに成功したのが砥部焼のはじまり。何度も失敗を重ねたため、最後には、赤松の薪もなくなり、自身の家の柱や畳まで窯にくべたといいますから、どれだけ情熱を注いで焼き続けていたかがうかがえます。明治期に入ると、廃藩置県により、それまで門外不出だった当時の陶磁器作りの先進技術を容易に得られる状況となり、砥部焼も量産が可能に。これと同時に砥部焼は、販路を全国、そして輸出商品として東南アジアへと広げていきました。しかし、その後の戦争などの影響もあり、輸出は減る一方で、輸出用の飲食器の大量生産を行う産地から、手作り、手描きの味わいを大切にした産地へと移り変わっていきました。

 砥部焼の魅力

手作り、手描きの温かみ。
厚手で丈夫なため、実用的

砥部焼手作り、手描きによって生みだされる温かみある深い味わいが、砥部焼の魅力。生い茂る草がモチーフの草文や、植物のツルを描いた唐草文などシンプルな絵柄が多く、繊細かつスピード感の筆遣いも特徴的。砥部焼と聞いて、白い器などに藍色の線で染め付けされた模様を浮かべる方も多いでしょうが、実はこの他にも、器の全面を緻密な模様で埋めるものも作られています。一方で、光を透かすほど薄いといった、一般的な磁器のイメージとは異なるのも独特。砥部焼は厚手のため、丈夫で皿を重ねても割れにくいなど、しっかりとした実用性も備えています。

 砥部焼ができるまで

鉄分を含んだ顔料「呉須」で
砥部焼の特徴である藍色を生む

砥部焼ができるまではじめに、原料となる陶石を掘り出し、機械で砕きます。粒子状になった陶石から、水分や砂、酸化鉄など不純物を取り除いて陶土を作ります。その後、真空土練機という機械で土を均質に練り上げてから「ろくろ成型」に入ります。砥部の土は固く粘りがないので、あまり水をつけません。そのため、自ずと力が必要となります。ろくろ成型の他にも、砥部では手びねり成型や、石膏型に粘土を流し込む鋳込み成型なども行われています。成形後、充分に乾燥させ、素焼きに移ります。素焼き後は、伝統的な手描きで絵模様を付けます。砥部焼の特徴である藍色は、呉須(ごす)という鉄分を含んだ顔料で描くことで生まれます。下絵付をしたものに釉薬をかけ、約1300度の高温で焼上げ、完成となります。

主な産地・拠点 愛媛県
このワザの職業 陶芸家
ここでワザを発揮 飲食器、花器、置物
もっと知りたい 砥部焼協同組合
砥部焼陶芸館
砥部焼観光センター